「三面大黒天」は、食生活を守る大黒天、勇気と力を与える毘沙門天、美と才能を与える弁財天の三天合体の尊像です。秀吉の出世守り本尊でもあります。
三面大黒堂に三面大黒天像を収めると、三面大黒天が信者の自宅上空をくるくる回って鎮座する場所を探して降りてくるといわれています。
「三面大黒天」は、商売繁盛、出世、財運、縁結び、子宝、健康長寿のご利益があるとされています。
「三面大黒天」のご利益にあやかりたい方は、三面大黒堂に参拝してみてください。
以下に、オリジナル写真満載で紹介しています。」
「三面大黒天」のまとめ(動画で紹介)
・筆者のInstagram「聖徳太子建立 四天王寺境内 三面大黒堂」のリールへリンク
「三面大黒天」
「三面大黒堂」の住所
〒543-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11−18
「三面大黒天」の御利益
「三面大黒天(さんめんだいこくてん)」は、食生活を守る「大黒天」と勇気と力を与える「毘沙門天(びしゃもんてん)」と美と才能を与える「弁財天(べんざいてん)」の三天合体の尊像です。
秀吉の出世守り本尊でもあります。
「三面大黒天」の開眼法要
奉安者の福徳円満・商売繁盛をお祈りするため、ご本尊・三面大黒天様をかたどった像に祈願事を刻み、堂内に安置していただくものです。60日に一度の甲子の縁日に開眼法要が行われています。
大黒天を信仰する人には巨富と望みが与えられ、さらに大黒天の像を刻んで安置し崇敬する人には福徳円満が約束されるとお経に説かれていいます。
「三面大黒堂」の外観

「三面大黒堂」の提灯

「三面大黒堂」の入口

「三面大黒堂」内

「三面大黒堂」内大黒天真言
オンマカキャラヤソワカ
「三面大黒堂」内三面大黒掛軸

「三面大黒堂」内大黒天像・毘沙門天像・弁財天像

「三面大黒堂」内三面大黒像




聖徳太子が建立した「四天王寺」
「四天王寺」の歴史
創建
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立された。
『日本書紀』によると、物部守屋と蘇我馬子の合戦で、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立して、この世の全ての人々を救済する」と誓願し、勝利の後その誓いを果すために四天王寺を建立したとされている。
現代
昭和9年(1934)近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被った。
昭和15年(1940)、努力のすえに五重塔が再建された。
昭和20年(1945)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰となった。
しかし、各方面の人々の協力を得て昭和38年(1963)には伽藍が再建された。
昭和54年(1979)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建、その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復している。
さらに、戦後間もなく太子創建の寺であることから天台宗から独立し、和宗を創立。
四天王寺は日本仏教の全ての宗派の総本山として、仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として再生した。
「四天王寺」の五重塔


「四天王寺」の境内から見たハルカス

「四天王寺」の亀の池

「四天王寺」の石鳥居
日本三大鳥居のひとつで、春分の日と秋分の日には、石鳥居の真東の生駒山から太陽が昇り、石鳥居の真西に太陽が沈みます。
石鳥居の奥は極楽門です。

「四天王寺」の南大門

「四天王寺」の日本佛法最初四天王寺石碑

「四天王寺」の東大門
